目次
ルートマップ

29日目(11/17)
概要
天候 雨時々曇り
コース 薩摩川内市→出水市→水俣市→熊本市
薩摩川内市
朝霧が深かった。白く包まれた新田神社は、とても幻想的。御朱印の受付のお嬢さんがとても可愛い子だった。そういえば、鹿児島神社の受付の子もとてもかわいい子だった。鹿児島美人?






大谷翔平の兜を製造していることで有名な「甲冑工房 丸武」に行った。ドラマや映画などで使用される甲冑類を製造している。たとえば井伊直政の甲冑は100万。意外に安いですね。買っちゃおかな? なんて嘘です。
六文銭のTシャツを買いました。部屋着にしよっと。








出水市
出水麓の武家屋敷群に行った。薩摩藩の出張機関を麓というらしい。ちょうど観光用の牛車が通った。仲のよさそうなカップルが乗っていた。観光地の人力車はよく見かけるが、牛車は珍しい。武家屋敷は、今も住んでいらっしゃってとても雰囲気が良かった。石積みが特徴的。南九州ならではですね。





水俣市・水俣病資料館
水俣病について、現地で勉強したかったので、訪れてみた。とても考えさせられる資料館だった。多くの人が知っておくべきだと感じた。


僕が一番、気に留めたのは下の写真の文章。水俣病の教訓は、単に水銀を美しい海に流し続けることを止められなかったという事だけではない。本当に考えないといけないのは、偏見や差別からの苦しみなのだ。
自分が当事者ならどうだったか?

熊本市
疲れたので熊本城はまた明日。
30日目(11/18)
概要
天候 曇り時々雨 午後 北風 急に寒くなった
コース 熊本市→田原坂→江田船山古墳→高良大社→千栗神社
走行距離 137km
運転時間 5時間10分
熊本城
朝の散歩で熊本城まで行った。が、入れるのは8:30~とか。外から復興中の熊本城を見ることにした。





田原坂
前回、ここに来たのは2012年。あれから資料館もずいぶん作り直されていたのでびっくり。有料になっていたが、300円で知らないかったことを勉強することができた。
そもそも田原坂の戦闘は、田原坂を熊本城に向かって進軍する政府軍を薩摩軍が両脇から銃弾の嵐を浴びせていたものとばかり思っていた。
しかし、実際はそうではなく、政府軍は田原坂を確保するために田原坂を北から攻めていき、薩摩軍とは田原坂を挟んで戦闘になったということだった。
それにしても、農民が中心の政府軍。どんな気持ちで恐ろしい薩摩軍と対峙したであろうか?
江戸時代は徴兵などなく平和に暮らしていたのに近代国家というのは、庶民にとって厳しいものだったのだろう。





政府軍は、あの山の方から進軍してきて、このあたり一帯が歴史上最大の激戦が繰り広げられていた。どんな気持ちで日本人同士が殺しあったのだろうか。


田原坂の一の坂。



江田船山古墳
埼玉古墳群の鉄剣と必ず話題にあがる江田船山古墳に行ってみた。古墳公園になっているが、案内板がなく、どれが有名な江田船山古墳なのか、歩き回った。が、実は駐車場の目の前の古墳がそうだった。もう少し、ガイドしてよ~。でも、念願がかなってよかった。この時代にここまでヤマト政権の支配を受けていたのだ。考えてみれば、すごいことだと思う。



高良大社
筑後国一宮。高良山の山頂付近に鎮座する。そこからの景色は最高であった。眼下に広がるのは久留米市街。その先は筑後山地。そのふもとには、この次に行く千栗神社がある。肥前一の宮と向かい合っている。なんとなく面白い。





千栗神社
肥前一の宮。柔道の古賀さんのふるさと。彼が小さいとき、この階段で足腰を鍛えたという話だ。





31日目(11/19)
概要
天候 晴れ
コース 福岡市→吉野ヶ里→小城市→鹿島市→長崎市
走行距離 180km
運転時間 4時間20分
吉野ケ里歴史公園







與止日女神社
肥前一の宮。


天山酒造
あの七田の酒蔵。天山酒造。九州では主に「天山」、九州以外に「七田」を主に出荷しているというお話だった。ご案内いただいた方もとても美人。すごいの一言に尽きる。





富久千代酒造
あの銘酒「鍋島」の酒蔵。おかみさんに伺うと、鍋島はここでは販売していないとのこと。「わざわざ関東から来てくれたのに申し訳ない」と言って、酒蔵のお猪口を2ついただいた。何というありがたいこと。本当に感謝です。これからも鍋島を積極的に飲んでいきます!




鍋島を売ってくれる酒屋を教えてもらって、そこで買い求めました。

祐徳稲荷神社
日本3大稲荷の一つ。最近、マレーシアでテレビドラマの舞台になったとかで、マレーシア人でいっぱい。





32日目(11/20)
概要
天候 晴れ
コース 長崎市→長崎半島→西海市→佐世保
走行距離 173km
運転時間 5時間
長崎歴史文化博物館
結構見ごたえがあった。フェートン号事件なども詳しく解説があって勉強になった。が、もっと事実(と言われている内容)を赤裸々に記載してほしかった。が、小学生たちには本当のことを言うと刺激が強すぎるのかもしれない。




長崎半島
あまりガイドブックには紹介されていないが、長崎半島も素晴らしかった。天気もまずまず。
樺島灯台





現現山展望台





軍艦島資料館。軍艦島に行くよりも軍艦島について詳しく解説されている。遠く軍艦島が見えた





伊王島の灯台まで行きたかったが、サイクリングで行くところのようで、道は車が一台とおれるだけでUターンできないとか。つまり、行くのはいけるが買えりはバックで戻らないといけないの? なのでやめた。
ランチでカレーうどん食べた。旨かった。

遠藤周作文学館




33日目(11/21)
概要
天候 晴れ
コース 佐世保市→平戸市→生月島→松浦市→波戸岬
走行距離 203km
運転時間 5時間30分
神崎鼻(日本本土最西端)
日本本土の定義に疑問はあるが、最西端は佐世保市が名乗りを上げ、稚内市、根室市、南大隅町と関係を築いているらしい。ちなみに今回の日本一周で4つともいったことになる。





平戸市
平戸市は、平戸城やザビエル関連で有名だが、ほかにもいろいろ見どころがあった。
まずは、平戸大橋。きれいだな。


次に平戸城とその周り。


素晴らしいのは川内峠。





生月島
平戸島のその先、生月島も橋でつながっている。その先端付近まで足を延ばせば、最高の景観と出会うことができる。もう、この辺りは韓国のすぐ近く。
入口は生月大橋。



塩俵の断崖



大ハエ灯台。とにかく最高であった。





松浦市
邪馬台国の疑似倭人伝で登場する「末櫓国」の推定地。あの松浦党の本拠地。道の駅でしばし休憩した。アジフライの町らしい。食べてみたい。



波戸岬
本日の宿泊先。その周りは波戸岬でとても風光明媚な場所。例によって、恋人の聖地とかがある。波戸→はと→ハート、と説明があった。う~ん。微妙。







夕食も呼子の烏賊コース。珍しく贅沢したが、めちゃくちゃ美味しかった。烏賊は、やっぱり呼子やね。
前日に伺った天山酒造のお酒をオーダーして最高の夜となった。



34日目(11/22)
概要
天候 晴れ
コース 波戸岬→名護屋城→呼子→唐津→下関
波戸岬の朝
朝、宿近くの波戸岬をもう一度散策した。先端には神社があった。




名護屋城
文禄・慶長の役で日本軍の本拠地となった名護屋城。秀吉の一言で全国の大名がこの地に集まった。物凄い規模の城である。
本丸から見える海。10万人以上の兵士が大船団を組んで、この港から出陣していった。そして、散々な目にあって、敗残兵としてあの海の向こうからこの港に帰ってきた。加藤清正も福島正則も。
秀吉がなぜ朝鮮出兵したのか? そして、当時世界最強と言われた日本武士団がなぜ惨敗したのか?
いろんな説があるが、もう少し勉強してみたい。







呼子
呼子の近くの加部島。呼子大橋を利用すると車で行くことができる。一番先端には杉之原牧場があって、牛が放牧されていた。









唐津城
唐津城は、他では見られない美しい光景を目にすることができる。虹ノ松原も素晴らしい。









35日目(11/23)
概要
天候 曇りのち雨
コース 下関→美祢市→萩市→津和野町→浜田市
走行距離 247km
運転時間 5時間30分
下関市
安徳天皇を祀る赤間神宮を左手に通過し、みすそがわ公園に朝一番に行った。壇ノ浦の戦いの舞台であり、幕末の四か国艦隊の砲台跡、すぐ近くに一時占領された前田砲台跡などが近くにある。この四か国艦隊の戦闘の結果、占領地や彦島などが租借地となる危機を救ったのが高杉晋作である。私は高杉晋作こそが幕末志士のMVPだと思っている





高杉晋作が佐幕派に牛耳られてしまった長州藩の正規軍を相手にわずか80名で立ち上がったのが、ここ功山寺。何度行っても感動する。この段階で幕府が圧倒的に優位で長州は風前の灯だった。そこを高杉は立ち上がり大逆転劇を演じて見せる。
ほぼ全員が無理だと言った。ここでついていった人は若き日の伊藤博文など僅か80名だった。しかし、ここから明治維新への大躍進が始まるのである。





高杉晋作が眠る東行庵に行った。ここに資料館があるのだが、実は前回行ったとき、閉館時間が過ぎており、入れなかった。今回、念願がかなって入ってみたが、内容はあまり勉強になるものはなかった。
だが、ここで高杉晋作のポスターを買った。自分の部屋に貼ろうと思う。






秋吉台
この風景は何度行っても感嘆する。



大田絵堂古戦場跡
功山寺で挙兵した後、高杉が下関の軍艦を奪取したのを見届けると、山形有朋はその勢いに押され、奇兵隊を動かす。彼はそれほど戦争のプロではないが、この時は奇跡的な活躍をする。この長州正規軍との戦い、なんと山県側が圧勝する。
その後高杉は、奪取した軍艦を長州藩の本拠地である萩の沖に動かし、なんと空砲を放ち城下の人たちをビビらせたらしい。
そして堂々と萩城に入り、殿様である毛利敬親の御前に出る。そこで、長州藩を倒幕で挙国一致させて世の中は倒幕に傾いていく。(高杉晋作、かっこよすぎません?)
この地は、そのターニングポイントとなる戦のあとなのである。
この地に立つと感動する。



萩市
高杉晋作の生誕家。彼はここで少年期を過ごし、この前の道には何度も行き来していたはず。そう思うととても興奮する。









松陰神社にある松下村塾跡。


津和野
小京都で人気の津和野に初めて行った。まあ、こんなもんだろうと思った。











成果と反省
- 九州ではあまり天気に恵まれなかったが、まあ毎日が晴天という事はありえない。
- 佐賀はいい日本酒の酒蔵が多い。烏賊は呼子のものに限る。佐賀県、なかなかいいところだとつくづく思う。
- 体は疲れているが、体調管理ができていて快調である。
次週の予定
- とうとう、日本一周第一弾も残り4日間となってしまった。最後まで、気を抜かず、安全運転でドライブしていきたい。
- 山陰を回って、舞鶴を最後の宿泊地、そして最後の訪問地は、奥の細道の結びの地である大垣にしたと考えている。