九州のおすすめマップ

九州の絶景スポット
平戸 – かつて欧州との窓口
九州の西北に位置する平戸。この地は、大航海時代、アジアやヨーロッパ諸国との貿易港として栄えた。オランダ東インド会社の貿易拠点として設置された平戸オランダ商館があり、フランシスコザビエルがこの地を拠点に布教していたこともあって教会も多く、潜伏キリシタンの関連遺跡が世界遺産に登録されている。
一歩足を延ばせば、標高約260メートルに広がる大草原の川内峠からの眺めは壮大で感動する。さらに先に進めば、生月大橋で結ばれた生月島に渡ることができ、その先端には大バエ灯台の絶景がある。僕は昼間に行ったので見ていないが、東シナ海に沈む夕陽が最高だと聞く。
◆平戸市



◆川内峠





◆生月島







神崎鼻 – 日本本土最西端
日本本土の最西端。日本本土の定義は難しい気がするが、沖縄と離島を除く日本列島4島の一番西であることは間違いないのだろう。
どんな定義であれ、一番西である場所にいるというのはいい気分。






高千穂 – 神話の聖地
天の岩戸伝説などが残る神話の里。特に説明するまでもない。








なお、天孫降臨の高千穂峰はここからかなり離れている。宮崎県の南西、鹿児島県との県境、霧島神宮の近くになる。
以下の画像は高千穂峰山ろくにある「霧島神宮 古宮址天孫降臨神籬斎場」のもの。霧島神宮はもともとこの地にあったが、噴火のため、現在の場所に位置している。



通潤橋 – 山の中にある石橋アーチ美
通潤橋は、1854年(嘉永7年)に建設された農業用水を送る石造アーチ水路橋。この熊本の山の中にこのような橋を作っているとは驚きである。見事なアーチでとても美しい。
石管水路の内部にたまった泥や砂を除くため、橋の中央上部両側に放水口が設置されていて、農閑期には観光客用に放水を行っている。僕はここに2度行ったが、いずれも放水時期ではなかった。いつか行ってみたい。
詳しくは ==> こちらから


馬ヶ背 – これぞ岬の醍醐味
延岡市近くにある馬ヶ背。先端まで遊歩道があって、岬好きの僕にはたまらない絶景スポット。
2枚目の画像は、「願いが叶うクルスの海」と命名されているが、ちょうど真ん中あたりに岩礁が割れていて、それが十字架に見えるのでその名がついたらしい。






日南の海岸 – 海岸美が続く50キロ
かつての新婚旅行のメッカ。宮崎市内から都井岬まで見事な海岸線が続く。その距離はおおよそ50キロほど。
最高のドライブルート。
◆青島




◆日南海岸


◆鵜戸神宮



◆南郷エリア




都井岬 – 野生の馬が絵になる絶景
野生の馬が多くいる。青い海と牧草、そして馬。とても絵になる。




佐多岬 – 日本本土最南端の地
日本一周というからには、この岬は外せない。この日はあいにくの天気。それでも、とても素晴らしい。


九州の酒蔵
富久千代酒造
あの銘酒:鍋島の酒蔵。風情のある昔ながらの酒蔵街:佐賀県鹿島市浜町にある。この雰囲気、日本酒好きでなくても郷愁を誘うだろう。おかみさんもとても人情あふれる方だった。
酒造りとカフェのプロデュースでご活躍の次期社長(現社長の御長女)は、ちょうどテレビ会議中のようで会話できなかったが、テレビなどでよく拝見している。宿泊施設もプロデュースしているとか。いつか行ってみたい。
詳細は こちらから


天山酒造
首都圏では「七田」の銘柄で有名。九州では「天山」という銘柄で出荷しているとお店の方に聞いた。なんでも、ANA国際線ビジネス、ファーストクラスでの機内酒としても出された事があるとか。
さわやかで、ほんのりした甘み、すっきりとした後味。どんな料理にもあいそうな。佐賀県の酒蔵は、本当にレベルが高いと感じる。


薩摩酒造 – 花渡川蒸溜所明治蔵
その名の通り、明治時代から続く酒蔵。首都圏でも有名は「薩摩白波」を世に出している蔵。この蔵限定品を購入して宿でじっくり飲んだ。とても美味しかった。


九州の歴史スポット
吉野ヶ里 – 邪馬台国だったのか?
1980年代、人口流出に悩む佐賀県がこの地に大規模な工業団地を建設しようとした。それまでの研究から、そこはもともと遺跡が多く眠っているのではないか、と言われていた場所だったので、工事着工前にいったん発掘し、調査した後は埋め返して工業団地を建設する計画だった。
ところがである。発掘すると、当時最大級の環濠や物見やぐらの跡が見つかった。まさに探し求めていた魏志倭人伝が卑弥呼の居場所として記述されていたものであった。突如沸き起こった「吉野ヶ里フィーバー」。その遺跡を保存したいという署名が20万人も集まり、結局、歴史公園として保存されることになった。
弥生時代、この地は大陸と強いつながりがあり、高い文化があった。それと対外的な強力な敵がいたことははっきりしている。
ただ、卑弥呼の墓は見つかっていない。卑弥呼の時代の大きな墓が見つかったのは奈良県の箸墓古墳である。
もちろん、論争は決着していないが、だからこそ、いろんな想像ができるので歴史ファンにはたまらないミステリー。
必ずしも真実が明らかになることばかりがいいこととは言えない。
僕は、邪馬台国は九州:朝倉市付近にあったという説を支持している。





名護屋城 – 全国の大名が終結した大城郭跡
文禄・慶長の役(いわゆる秀吉のよる朝鮮出兵)の時、対外戦争の前線基地として、ここに当時最大規模の城を築城し、全国の大名がこの狭い場所に集まった。名護屋城を中心に各大名の陣所跡が多数残っている。この5年ほどの間、この地は政治経済の中心となったのである。
この地から10万以上の兵士が海を渡り、悲惨な戦争が繰り広げられた。そして、現地の人々を大量に殺戮しただけでなく、当時世界最強と思われる百戦錬磨の日本武士団も多く死傷し、ほうほうの体でこの港に戻ってきた。
福島正則・加藤清正らの武断派と石田三成ら文知派の対立はここから始まり、関ケ原決戦の火種になる。









西南戦争の地 – 西郷が辿った道
西南戦争は、1877年(明治10年)の2月15日から9月24日まで続いた、日本国内で起こった最後の内戦。この結果、武士の世に終止符が打たれた。詳細については言うまでもないので記載しない。
ただ、改めて驚くのはこの戦争は今からたった148年前に起こった。僕が生まれた年から考えるとたった80年ほど前のこと、長い歴史の中ではつい最近と言ってもいい。
さらに僕がもっと驚くのは、これは明治維新からたったの10年しか過ぎていないときに起こった。富国強兵政策を進めることで、幕府を破った最強の薩摩軍に政府軍が勝利したことだ。物凄い勢いで明治政府は近代化を進めていったという事になる。今の政治に比較していかに急速なものであったか。
大久保利通を中心とした政府首脳や西郷たちの思いを感じながら、各地を巡りたい。
◆田原坂








◆熊本城
熊本城を守ったのは谷干城率いる熊本鎮台。薩摩軍の激しい攻撃に耐え、52日の籠城戦の末、薩摩軍は撤退。
西郷は撤退時に、「新政府軍に負けたのではない、(熊本城を築城した)清正公に負けたのだ」というようなことをつぶやいたとか。
画像は左の列が熊本地震前の2012年、右の列が熊本地震後2024年のもの。熊本地震から8年たって、ここまで復興している。が、まだまだ地震の傷が痛々しい。








◆西郷隆盛宿陣跡
西南戦争の最後の決戦「和田越の決戦」で敗れた後、西郷はここで薩摩軍を解散する。
その時、彼は「こんなはずじゃなかった」と思ったのか、それとも想定通りであったのか。
いずれにせよ、政府軍と一戦交えて、その強さを感じ取り、「これで日本もやっていけるだろう」と思ったのではないかと思う。
だが、せめて故郷の鹿児島で死を迎えたいと思ったのだろう、ここから鹿児島への逃避行が始まる。


◆城山公園




島原の乱の跡 – 日本最大の一揆
島原の乱は、松倉勝家が領する島原藩のある島原半島と、唐津藩の飛地の天草諸島の領民が、過重な年貢負担と、未払いの場合に生きて火を付けられる等の非人間的な苛烈な処罰、キリシタンの迫害、その上に飢饉の被害まであって、両藩に対して起こした反乱。ただ、反乱軍の主流はよくイメージされる農民や女子供だけではなく、関ケ原後に牢人となった有馬家や小西家の旧家臣が中心だったという。
その総大将は、いわゆる天草四郎。いったい、どんな人物だったのだろう?
天草では、天草の先端にある富岡城を落とそうとするが、堅城のため落とせず、島原に渡って島原軍と合流し、原城に立てこもる。ここで幕府軍10万と5カ月ほど戦闘が行われる。
◆富岡城



◆原城






◆島原城





美々津 – 神武天皇の船出の地
美々津は、宮崎県の耳川の河口付近にある小さな港町。
だが、ここはニニギノミコトの天孫降臨に始まる日向神話において、初代神武天皇が日向国から大和平定への船出の地として伝えられている。ただ、古事記と日本書紀には港がどこであったかの記述はない。このことから、これは神話というよりも伝承に近いという人もいる。
しかし、ここは日向国一の宮である都農神社のすぐ近く。大和国一宮の大神神社(おおみわじんじゃ。単に三輪神社とも呼ぶ)と同じ祭神であり、この地は三輪性が多いらしい。ここの人たちが大和に移った可能性は十分以上に考えられる。





太平洋戦争と特攻
鹿児島は太平洋戦争の前線基地が複数あった。そこから特攻兵士も飛び立っていき、そして散っていった。
彼らのおかげで今の平和がある。彼らの若き死を無駄にしてはいけない。
◆知覧特攻平和会館






◆鹿屋航空基地資料館




鞠智城 – 興味深い古代山城復元
熊本県の山鹿市と菊池市にまたがる台地状の丘陵に築かれたの古代山城。こういう形で再現されている城はとても興味深い。
663年の白村江の戦いで敗れた天智天皇率いる日本。大陸からの来襲を恐れて、北部九州の大宰府を中心にこの城や大野城、水城を築き、都も大津に遷都する。天智天皇がいかに恐怖していたのかがわかる。
しかし、大陸から大軍が押し寄せることは結局なかった。
発掘では、国内の古代山城で唯一の八角形建物跡2棟や72棟の建物跡、3か所の城門跡・土塁・水門・貯水池などの遺構が見つかっている。
最初の画像は、その八角形建物を復元したもの。





九州のご当地ぐるめ
熊本の郷土料理
馬刺しにからし蓮根、あか牛にだご汁などなど。熊本も美味しいものでいっぱい。熊本の郷土料理を楽しめるお店が多いので是非寄ってみたい。下の画像は、青柳というお店でランチした時のもの。クルマの運転があるのでノンアルコールになったのが残念。日本酒と食べたいので、また次回も行きたい。

呼子のイカ
呼子のイカはなぜこんなに旨いのだろう? 玄界灘で鍛えられているからだろうか?
呼子ではイカの色は白でない。


薩摩の郷土料理
きびなごにさつま揚げ、黒豚、うなぎ、地鶏など、鹿児島も美味しいものであふれている。ここでは、やはり芋焼酎やね。僕は、「吾愛人(わかな)」さんで鹿児島の夜を楽しんだ。


さつま天うどん
知人から桜島フェリーに乗ったら、必ず食すべしと言われた。フェリー乗船時間は15分と短いので、乗ったら一直線に「やぶ金」さんに急ごう。さつま天うどんがやっぱりおすすめ。

さばパン
特に有名でもないし、SNSで話題になっているわけでもない。ただ、道の駅阿久根に寄ってみたら、さばパンなるものがある。気になったので買ってみた。
鯖とパンって合うのかな?と思ったが、これが実にうまい。鯖に千切りキャベツを辛子マヨネーズであえている。パン自体も旨かった。ご馳走様。

枕崎のカツオ
枕崎の戻り鰹がなぜ旨いか? そんなうんちくはやめておく。現地に行って食べてみないと分からない。枕崎は少し遠いという方は、山川港でも美味しい鰹がある。もう、最高に旨い。



九州ドライブのHints&Tips
九州は道路も整備され、快適なドライブができる。留意する点があるとすれば以下のことが言えるかと思う。
- 九州に限ることではないが、九州も見どころ、歴史スポットは多く、一周する場合は各県2泊づつ、最低でも2週間かけて回りたい。
- 首都圏や関西の都市部には、市電がそれほど多くないので、道路に市電があると走り方に慣れていないかもしれない。右折車線がなく右に市電の軌道がある場合、右折するときは後ろの車を通すためにに市電の軌道内に入ってはいけない。
- 福岡や長崎、熊本などの都市部のホテルに宿泊する場合は、その駐車場の位置を事前に調べておいて、入り方を確認しておくほうがよい。片道3車線で一車線だけ渋滞があるなど、急な車線変更が出来なかったり、市電が通っていて右折禁止とかあったりする。すると、ナビの案内でホテルの近くまで来ても、走行する方向や車線を間違えるとうまく駐車場に入れないこともある。そうすると、その付近の地図を運転しながらイメージして入り方を考えることになる。慣れていない土地では、そういうことは避けたい。
ギャラリー










































