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北信越のマップ

北信越の絶景
霧ヶ峰 – 涼風! 標高2000Mの大草原
車山高原から八島湿原まで、広大とした草原が広がる。車山の山頂は標高1924メートルだが、車山高原駐車場(約1300台)から標高差は350メートル程度、リフトもあるが時間と体力がある人は自分の足で登ってみたい。そこから、先に進んだ車山肩駐車場からの標高差は150メートル程度で楽勝だが、駐車できる台数が140台程度しかない。シーズン時は満車が多いかも。
霧ヶ峰って言ったって、夏は直射日光でやっぱり暑い。エアコンみたいにはいかない。でも、風が涼しくて、気持ちがいい。






戸隠神社 – 全国屈指のパワースポット
スサノオのあまりの乱行に天照大神が岩戸にお隠れになって、世の中は真っ暗になり大騒ぎになった。そこで、大神を再び外へ出てこさせるため、神々が歌や踊りでどんちゃん騒ぎを行った。それが気になった天照大神が少し戸をお開きしたところで、怪力の手力雄命( たちからおのみこと) が岩戸を押し開き、大神をお迎えした。有名な「天の岩戸神話」だが、その時に開けた岩戸がここに落ちたので「戸隠」と呼ばれるようになったとことだ。
戸隠神社は、この地に創建されて2000年以上経ており、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる日本屈指のパワースポット。
奥社参道並木は、特に有名。まさにパワースポットという感じで心が洗われるようだ。
せっかくなら五社をすべて廻って、最後は戸隠そばをいただきたい。






雨晴海岸 – 立山が最高にきれいに見える
富山県の絶景スポット。行ったことがない人も駅のポスターなどで一度は見た事があると思う。
ただ、何度か行っているのだけど、まだ立山がきれいに見える写真をとることが出来ていない。



能登金剛 – 足がすくむ断崖美
能登金剛と呼ばれる能登半島の外浦は、断崖絶壁が多い。松本清張「ゼロの焦点」の舞台でもある。
◆巌門






◆ヤセの断崖
下の画像ではわかりにくいが、断崖絶壁になっていて実際に立って下を見ると足もすくむ。海から見るとこんな感じ ==> こちらから




◆福浦灯台



◆増穂浦




奥能登 – 能登に行って能登を応援したい
2024年1月1日の能登地震。特に奥能登の被害は凄まじかった。もう、言葉にならない。僕は能登に毎年のように行っている。見慣れた町や風景が変わり果てている。心がひどく痛くなる。
以下の画像は、すべて震災前のもの。
◆千枚田


◆珠洲の塩田



◆珠洲岬

◆見付島

安曇野 – ルーツは九州の海人族
安曇族は、もともと北九州の志賀島を本拠とする海人族が大和朝廷の拡張に伴って、6世紀より前にはこの地に移り住んでいたらしい。この地にある穂高神社は彼らの祖先を祀るために作られたとのこと。海の人たちが。なぜわざわざこの山の中に移り住んだのだろうか?
勝手な想像をするに、それは北アルプスの水の恵みがあったからではなかろうか?
今は、北アルプスの風景とそこから流れる清らかな水で栽培されているわさびが有名である。
◆わさび大王



◆安曇野の道祖神と北アルプス


北信越の酒蔵
田中屋酒店 – 水害に負けず再建
信州飯山の酒蔵。2019年台風19号の大雨で千曲川の支流・皿川(さらがわ)が氾濫。酒蔵は1メートルも浸水し、機械や麹室が使えなくなった。実は、そのことをずっと後になってから知った。ここの社長夫妻とは若いころに同じ職場の仲間だったのに、150年の歴史を持つ酒蔵の被害に僕は何もできていない。僕は冷たい人間だ。
しかし、全国の水尾ファンが協力して再建できたとのことである。
一度だけ、酒蔵を訪問したのだが、社長夫妻は不在で、息子さんといろいろお話しさせていただいた。今後も頑張ってほしいと思う。
もちろん、これからも水尾を飲んでいきます。


宗玄酒造 – 能登杜氏発祥の酒蔵
全国20ほどの杜氏集団があるが、その中で三大杜氏と言えば、丹波杜氏、南部杜氏、越後杜氏。で、4大杜氏になると、能登杜氏を加えることがある(但馬杜氏を加える場合もある)。
その能登杜氏発祥の酒蔵であり、能登最古の酒蔵が宗玄酒造。
僕は、能登に行くと必ずと言っていいほど、毎回購入している。とにかく旨い。
2024年1月1日の震災で酒蔵は被災。その年の11月には搾りたて新酒を出荷するという奇跡的に復活している。能登の酒を飲んで、能登を応援したい。
※以下の画像は2012年に訪れた時のもの。


謙信越後SAKE祭り – 豊潤な上越の酒を飲みつくす
新潟県は酒どころ。ただ、上越、中越、下越によって味わいは全く違う。あくまで個人的な感想だが、下越の酒が淡麗できりっとした味わいに対して、上越(上越市、糸魚川市、妙高市など)は米の味が豊潤で濃厚。フルーティな酒なんか酒じゃないとすら言っているようで、いかにも酒好きの為の酒という感じ。料理の引き立て役ではなく、主張がとても強く、酒が主役で輝いている。料理と酒を野球チームで例えたら、上越の酒はエースで四番。この傾向は富山県のお酒にも共通して言えると感じる。
その酒祭りが、毎年、10月第3週の土日に開催される。




北信越の歴史スポット
一乗谷 – 戦国時代のタイムカプセル
戦国時代、朝倉氏の本拠地。城戸に挟まれた約1.7キロの城下町である。応仁の乱により荒廃した京から、多くの公家たちが避難してきたため一乗谷は飛躍的に発展し、極めて平和な暮らしがあり、華やかな文化が醸成されていったといわれる。全盛期を迎え、人口1万人を超え、越前の中心地として栄えていた。
しかし、5代孝景の時に織田信長に攻められ、この地は灰燼に帰す。孝景は大野城に移動中、同族の部下に裏切られ自刃する。このあたりの経緯を調べてみると、あまりにも悲劇だ。
ただ、越前を与えられた柴田勝家は本拠をここから北ノ庄(現在の福井市)に移すので、一乗谷はそのまま田んぼの下に400年以上も埋もれたままだった。なので、当主館や当時の町並みなどの遺構がそのまま残っていた。そして、1995年に城下町が復元される。まさに戦国時代のタイムカプセル。実に興味深い。





北越戦争 – 河井継之助の果たさぬ夢
近代的な海軍や陸軍などを持ちながら、幕府は鳥羽伏見の後に恭順した。これは内戦を避け、日本が外国の餌食にならないため。それはわかる。また、尊王攘夷の嵐が日本中を駆け巡った後、諸藩が天皇を担ぐ新政府軍には弓矢を引けないという事情、それも分かる。
しかし。、
しかしそれにしても佐幕派のだらしなさ?は目に余るように感じるのは僕だけだろうか? 鳥羽伏見で徳川慶喜は部下の将兵を残したまま敵前逃亡するし、多くの藩が戦わずして降参し、戦になってもほとんど新政府側が圧勝という感じ。まさに一気に、まるでドミノ倒しのように徳川中心の幕藩体制は崩れていく。
その中で、唯一と言っていいと思うのだが、河井継之助率いる長岡藩は善戦した。徳川方の意地を見せたと思うのだ。
しかし、長岡の町は焼け野原。河井継之助については評価が分かれる。
継之助さん
それでも、僕はあなたが好きだ。あなたは、腰抜け武士なんかじゃないよ。
- 八十里 こし抜け武士の 越す峠 (河井継之助の一句)
◆小千谷市 慈眼寺 会見の間 ※詳細はこちら





◆八丁沖古戦場
今は住宅街の中にある。


◆朝日山攻防戦
北越戦争、最大の激戦地。頂上の古戦場跡までは、車一台やっと通れるような細い道が続く。退避場所も少なく、対向車が来ないことを祈るばかり。







◆栃尾城
善戦しながらも敗れた長岡軍は会津を目指してまず栃尾に移動する。ここ栃尾城は、上杉謙信初陣の城。



◆只見町 河井継之助終焉の地
会津を目指していた河井は、長岡市街戦で足に受けた銃弾の傷が悪化し、この地で亡くなる。





倶利伽羅峠 -おごれる平家も久しからず
倶利伽羅峠は、富山県と石川県の境にある砺波山の峠。ここで、源義仲の信濃源氏と平維盛の平家の合戦があった。
義仲軍5000が北陸道に進出すると、平家軍は10万もの大軍を北陸道に出陣させる。
平家軍が越前(今の福井県)に入って最初の合戦では、数で勝る平家軍が圧勝し、義仲軍は越中(今の富山県)まで撤退する。平家軍は悠々と義仲の目前にある倶利伽羅峠に陣取る。ここまでは定石通りだ。しかもそこは断崖に囲まれた堅固な場所だった。
合戦当日の昼間は、ほとんど睨みあいに終わった。源氏軍は高所に陣取る大軍に対して攻めることが出来ず、平家軍も鉄壁に守られているので安心して相手の出方を見ていたようだ。つまり、ここに油断があった。圧倒的な有利な状況だったにもかかわらず、いつでも勝てると思ったのだろう、平家軍は源氏の息の根を止めようと攻めることをしなかった。
で、その夜のことである。源氏は伏兵を背後に回し、前後から夜襲を行う。安心しきっていた平家軍は大混乱。多くの将兵は暗闇の中で逃げ回り、戦わずして断崖絶壁から多く落ちていったという。堅固な地が災いとなったのだ。
圧倒的に有利だった平家は大打撃。逆に圧倒的に不利だった義仲軍は勝利を収め、勢いに乗って京を目指す。この戦いは、平家と源氏の立場が逆転したターニングポイントとなる。
平家の敗因。それは、緒戦で圧勝したのに退却する源氏軍を一気にたたくことをしなかったこと、倶利伽羅峠に対峙した時も昼間の間に源氏軍を攻めなかったことである。一気に攻めていたら簡単に勝利していたに違いないのだ。
何事も勝てる時に勝ちにいかないといけない、それがこの戦いの教訓だと思う。つまり油断は大敵ということだ。
多くの将兵が落ちて行って谷底は多数の死者が重なり、血の海になったと言われる。その谷は今も地獄l谷と呼ばれている。




北庄城 – 美女と野獣が猿に敗れた日
朝倉氏を滅ぼした織田信長。この越前の地を織田家宿老の猛将:柴田勝家に統治を任せる。勝家が一乗谷ではなく築城したのが北ノ庄、今の福井市である。9層にもなる天守は、当時日本最大級の城郭だったという。
しかし、本能寺の変の後、秀吉に次第に主導権に握られ、賤ケ岳合戦で敗れるとこの城に追いつめられる。
彼の妻は、信長の妹で旧敵:浅井長政の妻だったお市の方。彼女は織田家を守るのに必死だった。なので、野獣のようなイメージだが、彼と一緒になることで織田家の体制を整え、秀吉に対抗しようとしたのかもしれない。
しかし、信長にとって代わろうとする秀吉の勢いを止めることはできず、二人ともこの地で果てる。お市の3人の娘は脱出し、一人(茶々)は秀吉の子:豊臣秀頼を産み、一人(お江)は2代将軍の妻となり家光を産むことになる。
結局、秀吉は信長の奥さんと子供1人(織田信孝)、信長の妹を殺したことになる。






北信越のご当地ぐるめ
信州そばvs新潟へぎそば
信州の田舎そばも新潟のへぎそばもどちらもうまい。



ついでに新潟駅と長岡駅にある「ぽんしゅ館」




栃尾あげ – 日本酒のおともに最高
栃尾に行ったら本場の栃尾上げを食べたいと思っていた。道の駅に栃尾あげ定食なるものがあったので食した。
個人的には定食でなく、日本酒のつまみとするのがいいかなと思う。でも栃尾あげは美味しい。

白エビ -富山だけにある珠玉の一品
富山県の食材として有名なのは、ホタルイカもあるが、白エビをおすすめしたい。白えびは、大きな河口近くの水深100~600メートルの深海にすんでいるらしい。富山湾はこれも地殻変動のため、少し沖合に行くと急に水深が深くなる。同じようなところに駿河湾や相模湾もあって、そこにも生息しているが、漁業として成り立つ漁獲量があるのは富山湾だけという。
よく白えびのかき揚げがサービスエリアや道の駅で売っているが、ぼくのおすすめは何といっても刺身、あるいは、しんじょう。上品なほのかな甘さが口の中に広がる。富山市の居酒屋などで食べたが、感動の旨さである。(残念ながら、それらの画像は残っていない)


カツカレーラーメン
かつカレーは大好物。ラーメンももちろん嫌いでない。多分、多くの人に人気なメニューだろう。その両者が合体したカツカレーラーメン。近年は、日本各地で食べられる。その一つに中央高速の諏訪湖上りSAがある(ご当地ぐるめとは言えないかもしれないが)。
券売機でこれを発見して、思わずボタンを押した。料理はすぐに提供されて食べてみた。美味しいことは美味しい。
ただ、なんというか、例えばお好み焼きにモダン焼きというのがある。焼きそばとお好み焼きを合体させたものだが、それと同じ印象。カテゴリーは異なるが、2004年のオリックスと近鉄の合併のような。
つまり、「1+1 < 2」と思うのだ。
僕の個人的な感想だが、かつカレーとラーメンは別々に食べたい。
しかし、なぜだろう。時々、これを無性に食べたくなる。



ソースかつ丼&越前そば -福井に行ったら食べるもの
ソースかつ丼が有名な場所は、会津若松、桐生、駒ケ根を思い浮かべるが、忘れてならないのが福井。福井のヨーロッパ軒というお店が発祥と言われる。福井に行ったら外せない。(くわしくはこちら)
福井市のソウルフード、もう一つの雄「越前そば」。一度に両方食べたい。
それと僕はまだ食していないが、福井県に行ったら越前大野市の「しょうゆかつ丼」と武生市の「ボルガライス」も試してみたい。

氷見うどん – 冷麦のように細い麺
新鮮な海産物でブランド化している氷見。ここのご当地ぐるめに氷見うどんがある。これはもともと輪島素麺が元祖らしい。なので、麺は細くてにゅう麺のよう。出汁とそそるとたまらない。



北信越ドライブのHints&Tips
当ガイドでは、北信越として分類したが、中部地方を大きく分けただけで、地域の結びつきが強いわけでない。なので共通する地域性は雪が多いという事くらいではないだろうか?
この地域区分は高校野球などスポーツの地区としてよく使われているが、長野県民が石川県や福井県に対して近くの県という意識はないのかもしれない。
一般には、北陸3県(富山、石川、福井)、信越(新潟、長野)または甲信越(山梨、長野、新潟)のように分類するほうが良い気もするが、当サイトでは便宜上、この分類を使うことにした。
が、長野県は一番県境が多い県。8県と接している。言ってみれば一番ご近所付き合いが多い県。
したがって、長野県を中心にプラニングするといいかもしれない。
ギャラリー
◆謙信の本拠地:春日山城







◆村上市と新発田城






◆金沢城
石川門も五十間長屋もいいが、金沢城の魅力は何といっても石垣。





◆川中島の戦い




